新人時代の株式取引
24歳 | 年収100万 | 資産-50万 | |
25歳 | 年収300万 | 資産100万 | +150万 |
26歳 | 年収450万 | 資産400万 | +250万 |
27歳 | 年収450万 | 資産900万 | +500万 |
前に下記のように、今までの年収推移について書きました。
今回はその中でも一番最初の枠である新人時代の株式取引とその当時の事件について書いていきます。
最初は順調に資産が増えていったことを覚えております。
ダヴィンチ・アドバイザーズ
証券コード番号でいえば、4314だったと思います。私は、この株のおかげで最初のときは大きく資産を伸ばすことができました。不動産流動家銘柄の象徴といえる銘柄だったと思います。1兆円ファンドという言葉を覚えている人はなかなか記憶力がある人だと思います。株価はものすごい勢いで上がっていきましたが、その後2010年に上場廃止になっております。ただし、一応現在でも存在している会社のようです。しかしながら、私が今調べてびっくりしたのがその当時の社長である金子が現在はLCホールディングスで社長をしてるとはびっくりです。
株価はまったく冴えない状況ですね。時価総額40億円程度の会社のようです。過去のダヴィンチ・アドバイザーに会社を大きく飛躍させることができるとは思えない状況のようです。誰も期待していないのかもしれません。
この当時の不動産流動化銘柄は、大人気でした。これを中心にブログを書いている人とかで人気になったりする人もいましたね。その人たちは今どこへいってしまったのか・・・。
ジェイコム事件
その当時は、話題になった事件です。ジェイコム事件が2005年に発生しています。
その当時は今とは違ってシステムも脆弱でしたので、簡単にいえば1株61万円の売りが1円で61万株の売りが間違って注文されてしまったのですが、それが通ってしまってさらに取り消しもできなかったことによってこの事件が発生しております。この事件で大儲けできた人もいるかと思います。有名人ではBNFがこの事件で大儲けすることができて、ジェイコム男と名付けられたりしました。現在BNFはビルなどを買ったりしているようですね。
ジェイコム事件は結局東証側の責任になったのかな。これによって日本証券取引所の上場が伸びた記憶があります。
ライブドアショック・マネックスショック
2006年にライブドアショックとマネックスショックが発生します。ライブドアショックはホリエモンが社長をやっている会社でした。その当時は、株式単位が1株単位で大体700円ぐらいでした。取引全体の40%がライブドアとも言われていた時代で、ライブドア株の取引時間が他の株よりも圧倒的に短い時間しか取引ができない状態に追い込まれていた記憶があります。ライブドアは、この後100円台まで株価が落ちていって最後は上場廃止になっています。そして、マネックスショックはこのライブドア関連の株の担保の価値を0にしたことによって他の株にも影響を与えることになりました。
私は、ライブドアショックの最初の頃はそこまで損をしていなく利益を上げていきました。しかしながら、ここから新興市場の株全体が下がっていきそれによってこの後の大きなマイナスに繋がった記憶があります。
ライブドアショックは、後で見るとそこまで大した事件でもなかったと思います。これよりも日興証券とかのがやばいことしてましたので。今もそうですが、日本も韓国に負けず感情で罰則を決める国なのかもしれません。
まとめ
ライブドアショックやらジェイコム事件など色々ありましたが、この当時は小泉政権が発足したことによって日経平均は上がっておりました。従って誰でも株の利益が上げやすい時代だったといえるでしょう。新興市場を中心に売買していた人はつらかったのかもしれません。私もこの後は新興市場銘柄にやられて大きくマイナスになることになります。2006年後半は大きく負けた記憶がありますね。ストップ安に巻き込まれたことも多くあったと思います。
2006年は、新興市場銘柄を中心に触っている人と日経平均銘柄を触っている人で全然市場への雰囲気が違った時期だと思います。今は、日経平均が下がれば大抵新興市場も下げますが、その当時は日経平均は上げて新興市場が下げることが多かった1年でした。
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